
青硯書道会の歩み
青硯書道会創立期
昭和29年5月27日
青硯書道会創立。
第一回青硯書道会会員大会、葛飾区堀切小高園(現、堀切菖蒲園)にて開催。
昭和29年12月10日
会誌「青硯」創刊号発刊。
わら半紙4枚の謄写版印刷で、成績表にはわずか一般部69名の掲載。
わら半紙の会誌は第6号まで続き、翌年の7月より活版印刷となり、写真版も掲載される。
昭和30年5月5日
第二回青硯書道会会員大会、足立区常善院にて開催。
石井雙石先生、大石隆子先生、川村驥山先生令夫人、熊谷恒子先生の代理・渡辺吟松先生、稲垣黄鶴先生、日本書道院創立者の一人である長谷川耕南先生、同じく野本白雲先生などそうそうたるメンバーを来賓にお呼びして開催した。

会誌「青硯」

第二回青硯書道会会員大会
同人展・青硯展
昭和46年5月
第一回青硯同人展、台東区都立産業会館1階画廊にて開催。
「青硯」創刊200号を記念し、本会主催とする初めての展覧会を開催した。
本会役員を対象とした展覧会で、初めは25点ほどの出品だったが、現在は毎回70~80点の出品があり、小型でバラエティーに富んだ作品は好評を得ている。
会場を銀座松屋画廊、銀座かねまつホール、清月堂画廊へと移している。
平成元年4月
第一回青硯選抜展、飯田橋日中友好会館にて開催。
かねてからの硯水の夢であった本会会員全般を対象とした展覧会で、第二回より青硯展と名称を変更し、毎回150点ほどの出品がある。
他の公募展と同様、縦8尺、横2尺等の大きな作品で、見ごたえある展覧会となっている。
会場を飯田橋日中友好会館から浅草都立産業センター、東京芸術劇場へと移している。

同人展

青硯展
長谷観音
昭和56年5月
第十一回青硯同人展にて、鎌倉長谷寺「長谷観音」の木額を作り、奉納した。
3年前より木材を探し、新潟と長野の県境にて推定樹齢300年の桂材を見つけ、長さ3m直径1mに切り出し、2年ほど寝かし乾燥させた。
厚さ18cm、長さ2.8m、幅85cmに製材して、硯水が書き、松塢が凸刻した。その後、100枚ほどの金箔を2度貼りし、約1年かけて制作した。
重さが80㎏ほどあり、木質も堅く、非常に苦労したことを記憶している。
長谷寺はマスコミに度々紹介され、その都度この木額を目にすると照れくさいが、見る度に風格が出てきていることに喜びを感じる。
長谷寺山門には昭和35年頃、石井雙石先生が書き、門弟が刻した「長谷寺」の木額が掲げられている。
こちらは、凹刻で文字に白緑を入れ作っている。

「長谷観音」木額

「長谷寺」木額
これからの青硯書道会
昭和63年10月11日
清水硯水 脳腫瘍のため死去。
70歳という書道家としては、まだこれからという時期の早過ぎる死だった。
硯水の突然の死に青硯書道会の動揺は大きかったが、役員の尽力もあり、創立者の死去の際にありがちな会の分裂などはなく、硯水の意志と青硯書道会を松塢が継ぐことになった。
平成16年11月21日
青硯書道会創立50周年、「青硯」創刊600号記念式典を蛎殻町ロイヤルパークホテルにて開催。
来賓を含め、330名あまりの方にご出席頂き、盛大に祝賀会を執り行った。
50年という一つの節目を迎え、この度青硯書道会のホームページを製作することに至る。
石井雙石先生は常々仰っていました。
「50歳、60歳洟垂れ小僧、真の仕事は90歳から」と。
まだまだ青硯書道会も洟垂れ小僧かもしれませんが、日本の伝統文化である書道を時代に則した形でこれからも伝えていけたらと思います。

青硯書道会 創立50周年祝賀会

石井雙石先生、清水硯水、清水松塢
右カラム・メニュー
ボトムカラム・メニュー
青硯書道会・連絡先
青硯書道会 | 本部住所:〒124-0011 東京都葛飾区四つ木3-6-14 | TEL:03-3691-3165 | FAX:03-3696-2041